意外と知らない?稼ぐ人の『お金は○○○のカケラ』という常識。
皆さんの給料はどのように決まるのでしょうか?
1ヶ月勤務したから1ヵ月分のお給料がもらえるのでしょうか。
労働契約しているからその分が支払われるのは当然なのでしょうか。
”もっと給料が欲しい!もっと稼ぎたい!”
大変立派な志ですが、『お金を稼ぐ事そのもの』を目的にしていては、多くのお金を稼ぐことはできません。
『お金とは何か』という事を考えたことはありますか?
お金がなかった頃を想像してみてください。
誰かの持っている【物(もの)】が欲しいときは、代価となる【別の物】を差し出す。
そうです、物々交換で成り立っていました。
そして物の移動が大変なので、小さくて価値の高いものが好まれるようになります。
その結果が金(きん、Gold)を媒介とした物々交換です。
そして金(きん)の価値を明示的に保障し、わかりやすく刻印したものが金貨です。
ここまでは交換している物の価値は、実際に等価です。
金(きん)を常に家に保管していては、盗人や強盗の被害にあってしまいます。
そこで金(きん)を預け、預けた証書として貨幣を発行してもらい、その貨幣を証拠として金の代わりにものと交換するようになりました。
それが銀行と貨幣(日銀券など)の始まりです。
※銀行が本来保有している金の量以上に貨幣を発行したという話はここでは割愛します。
この辺りから、交換している物同士の価値に感覚的なズレが生じます。
1万円札そのものにはさほど価値がありません。
皆が1万円の価値を認め、信用しているから意味のあるものなんです。
そして、今どきのお給料は1万円札すらもらいません。
銀行口座に振り込まれ、数字が増えて終わりです。
これが、世間で『お金』と言うものをわかりにくくしている元凶だと僕は思っています。
大切なのは、お金とは本来『何か価値のある物の代価として受け取るもの』だという事です。
ちょっと話は変わりますが、あなたは以下のように言われたらどう思いますか?
「○万やるから、これやっとけ。」
僕はこういう人とはかかわりたくないですね。
憎悪すら感じます。
では逆にこんなことを言われたらどう思いますか?
「これだけやったんだ。○万くらいよこせ。」
やっぱり嫌です。
こういう人には、何も頼みたくありません。
どちらも代価としてのお金を要求しているはずなのに、なぜでしょう?
私たちは、このやりとりの何に嫌悪感を感じるのでしょう。
代価として等価か否か、それがお互いの納得を得ていないからではないでしょうか。
もっというとこういう事です。
等価な物なら交換などしない。
これが真理なのではないでしょうか。
自分にとっての価値と相手にとっての価値は往々にして違います。
その違いにおいて、支払う側としては「これはお買い得だ!」と思うから買いたくなるわけですよね。
「この1万円札を、9000円で売ってあげようか?」
こういわれて買わない人はいないでしょう。
しかし、それを物やサービスという、人によって価値の変わるもので行うから成り立つのです。
そして、物やサービスを相手に与え、相手が感謝するから「ありがとう」という気持ちを【お金】として受け取るのです。
こころがこもっていなければ、汚金(おかね)です。
お金とはこころのカケラ
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しゃちょー

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